2012年12月6日木曜日

A.N DRAWING.


「新人現る」の回でも紹介した、普段から自身絵を描いている彼女。レッスン初回にお互絵についてじーーーっくり話しをしたこともあり、彼女は普段から描く人なのもあってわたしは教えるということに頭を少し抱える。「はて、、、では白鼠では果たして何をしてゆくのか、、」。そこでその時に持ち上がったあるプロジェクトがありまして、
毎回、1つ、もしくは2つのペンによる点描画を仕上げていくことになった。
毎回、わたしが何らかのモチーフを予告無しに、一つのテーマ性を含めて用意させてもらって、その並んだモチーフから、何かしら彼女の感覚で察知した要素を、絵の中に表現している。「こう出たら、どうする」「そういきたら、こう行く」「あらそうきましたか」という様な掛け合いをお互いに楽しんでやっているといったかんじ。



この日は冷たいモノ、金属とか、冷たさを感じるモノの御題を掲げるため、自宅から鉄のフォークやら、真鍮のスプーンやら、直径1・5ミリ程の少し太めの針金を曲げた様な、一見「知恵の輪」の様なクリップ。ニンニク、石の写真の本、骨董市で見つけた薬をすり潰すためのガラス棒などを持って、「如何なものだろうか・・・」と用意した。
わたしは、毎回課題の内容を実はもの凄く悩む。勿論、彼女にだけでは無く、どの生徒に対しても。描く時間を楽しんで欲しいし、なるべく取っ付き易く、でも前回とは少し違っていたり、初めての画材、技法の、モチーフの新鮮さとか、割と実は悩んで悩んでいる。これはどこの絵画教室の先生も同じかもしれないけども。




 彼女のレッスンの時は背後で息を潜める様に、集中の時間を見守るようにしている。大体写真のこの距離感。何故かと言うと、彼女は今までに3回のレッスンをしているけれど、いつもモチーフをレッスンの最初にテーブル上に置いておくと、普段よくお話しをする子なのであるが、絵を描き始める時、その前に座り、静かにじっと、そのモチーフを手で障り、何か対話でもしているかの様に沈黙してそのモノを見ている。とても静かに。いつもその行為に随分の時間が費やされ、そして何か彼女の中でそのモノに対して、理解というか、触れた時、もの凄い集中力で紙の上に線を、点を、描き始める。


 私は自分で絵を描く時きっと全然違うアプローチをする。絵を描いている間はほとんどが主観でいるわけだから、自身の絵の描き方をこの様に観察は出来ないが対極的アプローチをしているんではないかな。それは誰がどんなのが正しい駄目とかではなく、わたしは少なくともこんなかんじではないから、その姿勢がまた彼女らしく、一人の絵を描く人として何か敬意に近い様な感覚で見守る。息を潜めて。




この日わたしは、また彼女が描く絵が好きになった。「分解と構築」。
絵を見る事はその人自身を見ることだ。

2012年12月3日月曜日

a self-portrait

この回は自画像を描いた。今日は自画像を描くのよ、と言って鏡と鉛筆と画用紙を渡したら、あらら、少し難色模様。でも今日の課題は自画像に決定していたから、彼女のお母さんにも事前にご連絡して「鏡を持参されて下さい」とお願いしていた。そして鏡をのぞきこんで目を描き始めた。わたしも何か描こう。すると生徒が「先生も自画像描いて下さいよ」ってきたもんだから、「自画像、そうねえ、先生は自画像描いた事あるからねえ」。ズルイーっってかんじの眼差しを感じつつも、わたしはわたしで、鉛筆でイラストを描き始めた。結果描いた絵は自画像では無かったから、何だかごめんね。
 最初そんなやりとりをして始まったが、またすぐに彼女は集中して描き始めた。そして横目で生徒の描き出した絵を見てふと思った。目を描いている。

自画像で一番先に描いてしまうのは目なのかもしれないと思った。多くの人が、顔を主に描く時はやはり目なのではないかな。「目は口程にものを言う」と昔の人は実によく言ったもんで、本当に目は口程にものを言ってしまう。わたしは身体の中でも特別な箇所の様に思う。ぼんやりして考え事がまとまらない時は、やはりぼんやりした目になり、何か発見や興奮に包まれた時は、キラキラし、いかにも水々しい輝いた目になる。わたしはよくよく友人に言われるのが何か面白いこと変な事を言おうとしている時、目が浮き足立っているらしく、ただそんなのってその時言われても自分では確認の仕様がないのよね。何か発見した時はよく目から手が出ているらしい。そのくらい他者の方が確認し易いその人のその時の本当の部分な気がするのだ。だから自画像っていうのはまた独特。自分を意識して見つめるのだから、「他人の垣間見るその人の本当」とまた全く違って、「本人の本人による本当」を描く行為。これは他人は絶対に垣間見れない「本当」だから面白い。


 描けた。特徴のある場所に3つのほくろがこの生徒にはあるのだけれど、それが一寸も狂いが無いくらいに描けているのが興味深い。途中でほくろと鼻とか、描いている鉛筆で鏡に凄い顔を近づけて角度や距離をい計っていたのは、横目で見ていて面白く微笑んでしまった。彼女らしい色合いの自画像が描けた。これまた良い絵だな。髪の毛の一本一本まで描いている。色といい、画面の中に置いた自身の大きさといい、位置といい、本当にこの子らしい良い絵だ。

そしてそして、「今日は自画像を描いたら、12月のレッスンのクリスマスリース用の素材を拾いに行くのよ」と話していたから、描き終わったら勢い良く「終わりました!」の声。さっそく近く(歩いて2分くらいのところにある)の桜の木が4、5本並んでいる、小さな公園、公園ではないな、、小さな小さなもの凄く小さな雑木林にバケツを持って向かった。

 最初生徒と腰をかがめて、地面を見たり辺りをキョロキョロするが、落葉というより枯葉ばかりで、「無いねえ」と言ってはゆっくり注意深く前に進む。そしたら彼女が「あった!」と言って何か拾っている。視線の先をよく見ると、小さなドングリが沢山落ちている。やはりこういった場合見つけるのは子供達の方が断然早い気がする。身長なんかの問題では無く、子供の世界の方が断然そんなものも近くにあるからだ。
次々と見つけ出して、よく見ていると、彼女は拾ったドングリを一回強く振っている。「その動き何?」と聞く。一回、ブンって振って中の実が動いたら、虫が中にいるらしい。
おお!凄い!、、、彼女のその一連の動きと、その、もの知りのかんじがあまりに格好良く、わたしも真似してやってみる。分からない。中の動いている振動がわたしには分からず、結局わたしはなんとなく彼女のしているのを真似だけしながら、拾ったドングリをバケツに入れた。


 目が慣れてくると帽子をかぶったドングリがいくつかあったり、まん丸のシイの実っていうのだったかしら、おっきなドングリも沢山見つけてウキウキしながら拾い集めた。
アトリエに戻ったら、「数を数える」と言ってテーブルにバラバラっとバケツから出し、1、2、3、、、、、30、、。その時は確か30何個かあった気がする。まだ増やしたいらしく「もう一度」と懇願されその後まだレッスンの終わりまで少し時間があったから、また採りに行った。最終的に拾った数は時間が無くなって数えてはないけど、全部で5.60個くらいにはなってたかもね。





最後にわたしのこの時描いたイラストも少し載せて頂こう。

2012年11月1日木曜日

drawing


この日はドローイングをしてみる。色は最初わたしが父から貰ったRembrandtの水彩絵の具を使おうとしていたが、最初に花のトレースをしている時に色味が渋過ぎる気がして、今日は「トレースの方も、ドローイングも12色・子供用絵の具にしましょう」。梅鉢に絵の具を並べていく。2色くらい並べていたが、彼女が、「先生、この中から目をつぶって選んで。」と言う。確かに、梅鉢って7色しか入れられないのよね。でも使うのは12色・子供用絵の具。目をつぶって、一つ引いた。黒。黒は好き、黒は最も好きな色だけれど「黒は今日はトランプで言うジョーカーよ」、「今日はババ抜きよ、今日は黒は除けておこう」。また目をつぶって、一つ引いた。今度は茶色。。あらま。。また「これもババ抜き、今日は茶色はババね」。そして次。白。白ねえ。。わたしはこんな日に限ってもこういう色を引いてしまうのかしら。。もの凄く好みな色達ではあるが、「今日はこの人もババ、さよならして、、」と言って、ついでに黄土色なんかもドサクサに紛れ省いちゃって、残るはカラフルな色しか無い。うん、これなら良かろう、と思って引いたら、赤。よし、次次、オレンジ。よし、次、暖色系以外がきて、お願いよ。黄緑色。まあ良いじゃない。次。青。こうなると今度は色の三原色みたいになって、少し気まずい。。「ではこの色どれか2つ混ぜて何かの色にしよう」。「青と赤混ぜたら紫になるね」満場一致のもと紫を作った。結局梅鉢のくぼみには6色が並んだ。
最近はコンテや、鉛筆デッサンばかりだったからこんな綺麗な色は久しぶりだ。彼女もわたしも少し意識が変わって気分がいい。あめ玉の様な色。今日はドローイング用に水を多めに入れているから紙の上に乗ってもまだみずみずしく光っていて美しい。
 
今日はいつもみたいに筆も使うけれど、枝も使うし、彼女の案でトイレットペーパーの芯も画材にした。生徒達の案はどんどん取り入れたい。最初、彼女が枝でわたしが芯を。二人で熱心にペタペタ、シャッシャとする。黙々と。良い線が出来てきている。これはなかなか良い絵になりそうよ。水気を含んだ絵の具同士が混じり合ってまたそこに作った色でない色が出来る。わたしは描きながら「あーーめーーー、あーーーめーーー」と言う。雨と飴色を掛けてみたりして、全く親父ギャグか。生徒自身の手もどんどん動く。色とは、時にそうさせるものだ。勝手に色が手を動かしてしまう。

 「今度やるバレエの衣装を教えてよ」彼女は11月にバレエの発表会に出演する。その時、水兵さんと、マトリョーショカの一番小さな人をするのだ。そうしたら、この絵の上に描きだした。上の写真の左下の四角いのが、そのそれです。マトリョーショカの方ね。彼女のその描いてくれた線がまた生きて、良い絵となる。時には人と1つのことをするのも楽しいからね、絵を描くことも然り。

 だいぶ辺りは秋も通り過ぎようとしていて、寒くなってきている。この写真では見えないけど、この日も白鼠のレッスンの後はバレエレッスンだから、白い厚手のタイツを身に付けてる。それでも教室の床は冷たい。ブランケットを貸してあげた。その上に普通に座るだろうと思いきや、上手に中心に入ってクルックルッとさも当たり前の様に、巻き付けた。ブランケットに包まった。なんて可愛いのだ。「白鼠の生徒たちは先生の太陽だ」。そういった1つ1つの思いつきが大事よね。子供達と一緒に過ごしていると「当たり前って何なのだろうね」と思う。ずっとずっとそういう風であってね。

 この日は彼女の好きなココアを飲みながらレッスンしていた。筆を洗った水がココアの色になっていた。筆洗機も発見の場。紙の上だけで無く、どこにだって発見の場はある。そういえば、写真には写っていないが、指先に絵の具をつけて水面を一瞬触ると水の表面から絵の具が信じられないくらい綺麗な線の模様となって筆洗機の底へゆらゆら落ちていった、そんな事もした。彼女が「先生、見て」と言って、その事を教えてくれた。彼女は何回も繰り返し水に一瞬指先を触れその線の模様を作った。しばらくその様子を二人で眺めた。

 今頃、アトリエでこの絵は絵の具が乾いているだろうからまた次会った時は違う表情の絵になっている筈だ。この水々しい色はその場に携わった者のみぞ知り得る。その瞬間は乾いた絵には残せないけど、それはそれでまた良い絵になっているでしょう。

愛宕の教室でも、前回の白鼠の男の子もしたのと同じ様にトレースする。花の写真をトレースして、指と筆で色をつけた。同じトレースしたもの、方法は一緒でも皆違うかんじになる。トレースしている時は、話しかけては駄目かなと思うくらい集中していた。
やはりその真剣な表情は「白鼠の生徒たちは先生の太陽だ」!
          

2012年10月25日木曜日

トレースする

今日はトレースして絵の具でのせてみる。それには勿論トレーシングペーパーを使う。愛宕教室の子供達は前回のレッスン終了時、エレベーターの乗り口へ見送りに出た時、「次は鳥描きたい」と言っていた。だから鳥の図鑑。綺麗な鳥が沢山載っているね。これは荒俣宏著「世界大博物図鑑」で、大事なある日頂いたものだ。装丁がズバ抜けて優れている。

 これは表装。美しいでしょ。平凡社から出ている。わたしが、わたし自身では手にすることは出来ず、出会えなかった本だと思うと、本当に大変嬉しい出会いであった。その方を介さずには出会えないもの、そういった機会を幾度も与えてくれている。1蟲類、2魚類、3両生・爬虫類、4鳥類、5哺乳類で全5巻あると、頂いた際、この図鑑を下さった方が興奮しておっしゃっていた。ご自身蟲類か哺乳類が欲しいのだとおっしゃる。全巻揃えたもんなら、上海の高級ホテルに3、4日宿泊し、おいしいご飯を毎食頂けるくらいのお値段がする。少なくともわたしの所有しているプジョーのカラシ色の自転車よりは高い。値段のことばかり書いてしまったが、それに値する以上の内容と言いたいのだ。下の図版を見て欲しい。要はこの様、ズバ抜けて中身も優れている。荒俣さんらしく、鳥の、神話・文学との関わり/民話・伝承なんて項目もある。「人と鳥のユートピア」「鳥と会話が出来ない人びとの努力」なんて前書き文まである。内容をこの場を借り案内したいが止めておく。荒俣さんのためにも気になられたら是非購入して下さい。
梟、なんとも可愛い。表情、動きの表現が豊かだ。
 子供達に内容の蘊蓄より、図版絵、その色の素晴らしさを伝えたい。それでは、丁寧になぞってみようね。上の子は最初[ドウドウ/頭と嘴の異常に大きなアヒルお化けみたいな鳥]とか言っていて「よくそんな鳥知ってるね」なんて話していたが、いつの間にか[オニヤイロチョウ]を描いている。
 下の子はポケモンのノートの表紙をなぞっている。あら、今日鳥は描かないのかな。ポケモンのその絵はなかなか描く線が多すぎて難しいのではないかな。ただ、彼は一線一線、一生懸命だ。

 お母さんはデッサンの仕上げを。背景も鉛筆でつけてゆく。描く姿がまたかなり様になっておられる。本当に毎回、めきめき上達し、驚きを隠せない。

 「デッサンが終わったら、子供達と一緒にトレースしましょう」。花の写真をトレーシング。さらさら慣れた手つきで描いてゆき、着彩も素敵。お手のものであった。実際の写真より、出来上がったものはもっと素敵だった。「鉛筆でサインを描いてみましょう」と言うと、また良い筆跡でローマ字で名前を書かれた。本当に凄くいい絵になりましたよ。
 ついでにドローイングと称して、絵の具で遊ぶことに。この青と緑の混じり合った心ゆくままの絵は下の子、彼が描いたもの。激しく筆を動かしたのが絵から分かる。絵には時間や速度さえも、その空気感に出てしまうものだ。
 「出来ました」。「良く出来ました」。完全なデッサンは初めてだったはずが、よくここまで仕上げたものだ。素晴らしい。この絵は全部で3週足らずくらいで描いてきたので、途中でカボチャが駄目になり、途中でしれっと林檎に置き換えたが、何もそれについてはおっしゃられず、立派に仕上げて下さった。
 ドローイングで遊ぶ其の1。トレースで写し取った絵に色をつけた。図鑑の鳥の色そのままでなくていいのよ、と伝えたら、上の子が彼女らしい色合いで(淡い色合いが得意)描いた。ドローイングは何でもしてよいのよ。と少し手本を見せたら、鳥の周りに英文字を描きだして、ジャクソンポロックの様な筆から絵の具を飛ばす方法を教えたら、迷う事なく、ピシャ、ピシャっと。
これも上の子のドローイング其の2。こちらは青い絵の具を基調とした。鳥の羽の辺りの色合い、凄く綺麗だね。英文字と数字が効いている。其々、色んな個性が飛び出して、わたし自身楽しいレッスンだった。

2012年10月16日火曜日

新人現る。

10月から新たに一人、白鼠に入ることが決まった。彼女はもともと絵を描いており、点描画を描く。ペンで描く。8月にわたしは、薬院にある「シゲキバ」というギャラリーで幾人かで絵を展示する機会を頂いたのだが、その際、「絵を出さない?」と誘って彼女も展示した。彼女とは前から友人でもあり、大正通り沿いにあるお洒落な眼鏡屋、4adで出会った。以前より4adの店長さん、店員さんとは仲の良くしているのだが、ある時期、彼女はそこでスタッフとして働いていたのだ。勿論そういったわけもあり、彼女はいつもお洒落な眼鏡をかけている。もともと感度の高い子だ。
この日は、体験レッスンと称し、まずはお話からする。
誕生日とか、好きな色とか、好きな天気とか色々聞く。好きな天気は「曇り」。
うん。納得してしまう。そうだろうね、晴れより曇りが好きなのね。彼女はそんな空気を持った人だ。因にわたしは雪の深々と降る日や、天気の日に少し雨が降ったりが好きだが。空中に動きのある日が好きなのかもしれない。見る見るうち変わってゆく姿が。
この日彼女は素敵な絵を描いた。わたしの用意した、吹きガラスのコップ、蓮根、花瓶、油の筆洗液の入った瓶、林檎。最初テーブルについて、まじまじとこれらを手に取り見ていた。最初は鉛筆デッサンを描いてもらおうかと考えていたが、レッスン開始後の諸々聞き込みをしていた彼女との対話の中で、「褒められる絵を描くな」と美術の先生に言われたことが良くも悪くも彼女が絵を描く時に頭の中に存在してしまうらしく、(彼女にとって、よほどその先生の存在は大きかったとみえる)絵を描くにあたり、常では無い様だが、少し構えてしまうこともあるらしいのだ。そうなってくると、わたしの用意したモチーフで、しかもデッサン(精密画)を描いてもらうというのは違う気がしてきたぞ。
どうしようか。少し考えた後、「いつも使うペン持ってる?」聞いてみる。「持ってます」「ではそれを使ってこの置いてあるモチーフの好きなのだけ選んで自由に描いてください」にした。きっと彼女には決まった様に描くより、こっちの方が良いだろう。
彼女自身が描きたい世界観がはっきりとしているから。わたしは彼女の描く絵が好きだ。
白い紙のなか黒い点と、黒い線だけで作り出される、空白と黒の世界。

愛宕教室では

愛宕教室のこと今まで書いていなかった。この度初めて載せます。愛宕の方には、家族で通って来てくれている。お母さんと子供達、子供達は小学校中くらいの学年。彼らとのお付き合いは自身の絵画教室以前からになる。お母さんは上品でとっても優しい雰囲気の方で子供達はとっても元気がよく面白い。毎回新しく発せられるギャグには本当に笑わされてしまう。
さて、今日は新鮮な林檎が手に入った。こういうフレッシュなものがある時は、絶対そのものを見て描くのが一番よね。フレッシュを感じるのは見た目だけではないからね。重みとか香りとかも感じてね。新鮮なモノはハツラツとしている。
最初に形を取って色をのせてゆきましょう。今日の林檎はジョナゴールドと秋映。最初上の子がジョナゴールドを持っていたのだが、下の子がジョナゴールドが描きたいと切望し、上の子がゴロンと彼に手渡した。兄弟ってよいですね。そして思う、男の子は戦隊の様な名前にやはり引かれてしまうのだ(勝手な判断ですが)。
今日のおやつは秋映のコンポートの生クリーム添えよ。


 見て下さい。兄弟でも全然描き方が違う。塗り方は上の子は慎重で細かく、下の子は凄く大胆。上の子は実物の林檎の色になるまで、色を比べたりして絵の具を混ぜている。下の子は黄緑とピンク色をダアーっと作って塗ってしまう。下の子へ「実にモダンな絵だね」「陰もつけてね」上の子へ「林檎はただ赤いだけではないからね」「この林檎は小さなつぶつぶがあるね」
 お母さんは着彩やデッサン、ほぼ基礎的なことをずっとしてもらっているのだが、今回は大きなモノを使ってモチーフを組み、鉛筆デッサンを描く。5月から始めて、月に2回のレッスンだから計10回もしていないのだが、吸収力が素晴らしく、わたしの伝えたことがどんどん次の描く時に表れ繋がっていく。とにかく形を取るのが最初から上手だった。
絵をしたことがありますか?、聞くと、絵は本当に少しの間通ったことがある程度で、あまりされてないとおっしゃる。
わたしは初回に、チューリップの束を描いてもらい、着彩をしてもらった時の出来上がりの素晴らしさに本当に驚いた。丁寧にとても細部にまで行き届いた絵を描く。性格が出ます。次回、もう一時間くらいで完成へと描いてゆく。
愛宕教室は自宅の一部屋で行っている。わたしは木や山が好きなので、海はそこまで、、と思ってもいるのだが、うちからは海が見える。海はそんなに、、と言ってもこの環境に救われていることも少なくない。
だがうちは今、半年を超える大規模補修工事に8月より突入した。言うなれば鉄の要塞。
外から見たらクリストの作品の様で素敵なのだが、最初はリビングからのこの風景もかっこいいわね、斬新ね、と思っていたが、目が慣れてくるとさほど良くもない。
今、愛宕教室は「白鼠鉄の要塞絵画教室」。

模写とデッサン

この日の絵画教室もいつもと変わらず始まった。こうした、いつも変わらずの開始の雰囲気良いな、好きだなと思う。「こんにちは」の挨拶から始まって、その日のことを用意して、同じ様な繰り返しの中で何かが作り出されていて、その何かは一度じゃ分からないけど、何ヶ月も何年も経って漸く形が見えてくるようなもの。通うとはそんなものだ。学校を思い出す。特にうちの教室の雰囲気は休み時間や、部活動の雰囲気に近いかな。。ここに通っていること、子供達はどう思ってくれているのかしら。。
 この日はある生徒には模写を。そしてホックニー画伯(前回のブログの内容から引用)と呼ぶべき生徒はデッサンの仕上げだ。模写はこの子は初めて描く。やはり生徒自身に選んでもらうべく、わたしはミロとマックスエルンストが載っている画集を差し出した。ぱらぱら、とページをめくって「どれか好きな絵はある?」。彼は黙って画集を見ている。何度か最後のページまでいってしまい、もう一度ゆっくり1ページづつ捲りながら、あれ、、、もしやこの中には彼をハッとさせるものはなかったのだろうか、、と考えていた矢先、エルンストのコラージュを指差した。わたしとしてはそのコラージュ画を選んだのがとても意外だったので、彼は青が好きだから色で選んだのかなと思い、エルンストの別の青い絵を見せて「こっちじゃなくてそれがいいの?」と確かめた。やはりコラージュのその絵がいいみたいだ。「どこが好き?」と聞いてみた。彼は鳥籠の様な、はたまた家の様にも見える部分を指差し、わたしを見た。彼は数多くの絵の中から確かに選んでいた。この時、わたしの方が何だかハッとさせられた。
彼女は今日は仕上げる。目の前のモチーフとしたモノと自分の絵と見比べる。
何が足りないのか、わたしも見比べる。この日はモノの質感について話をした。固いものは固い鉛筆で描くのよ。柔らかいものは柔らかい鉛筆で描くの。彼女にこの中で何が一番固いかしら?質問してみる。最初考えていたが、真ん中の金物で出来た花器と木がぶつかったらどっちが負けるかとか話しながら考える。「じゃあ柔らかいのは?」って聞いてみる。「これ?」といって指したのは木のブロック。正解。彼女はもう鉛筆の固さについては教えているから、さっそく描き始めた。集中している。描いている眼差しは真剣。良い表情である。今日は完成しそうね。うん、よしよし。

わたしは生徒が絵に集中している時は、なるべく邪魔しないように写真を撮る。こっそり撮る。


難なく隠し撮りは成功を遂げている。いや、全然バレていることの方が多いのだが、この日の彼等は黙々と絵を描いていたからね。容易いもんよ。君達の真剣なそんな表情が先生はたまらなく大好きだ。