2013年4月6日土曜日

夜の白鼠



 桜坂教室に来てくれている生徒さん(普段から絵を描く彼女)が月に2回来てくれることになり、夜も時々白鼠絵画教室は開いていることになった。





 この日は木の実など、普段彼女がけっして描いたりしないであろうモチーフ。彼女は普段からかっこいい、男性が描いたのか女性が描いたのか分からないような絵を描く。なので、モチーフも彼女が見てかっこいいものがきっと選ばれているはずで、木の実は選ばない。たぶん。


 結構、描き出すのに時間がかかっていいるらしい。あまり興味を引く要素がなかったかな。少し不安な気分になったが、ゆーーーっくりと描き始めたみたい。





 この日は、木の実の他にハーモニーコリンのフォトが印刷してある、アニエスb.のフリーペーパーも持ってきていた。これはフランスにを昨年旅行した時、あるフォトギャラリーの展覧会を観に行ったその時、手に入れたのだ。
わたしは今から15年くらい前になるが、大学時代、うら若き感覚に、アニエスb.のフリーペーパーが格好良すぎて、それが欲しいがためにアニエス新宿店に通って行ったものだ。ノスタルジアとでもいうのか、フランスで久しぶりに手にし心躍った。あら、気が付くと、ついついレッスンと少し関係のないところに飛んでしまったので軌道修正。






 ほらこんなに実がたくさん。これらは、わたしが常日頃から、自宅にて自然乾燥して、大事に集めてきたものたち。自然乾燥といおうか、ただほっておいただけなんだけど。形も色も綺麗。教室に持ってくる間の移動中も、形が壊れないように大事に大事に移動してきた。

 描き始めたが考えている。今回のモチーフ、どうなんだろう。。。気になる。



気になる気になる。話しかけないが、わたしの気持ちは彼女に集中。彼女はモチーフにどうにかアプローチしようと試みている。話しをしていないから本当は違うのかもしれないが。。




スイッチが入ったようだ。この後、彼女は何か降りてきた様に一言も話さず、いつもと同様、もの凄い集中力で作品にした。彼女の絵はブログ内で一切公開されていないが、いつも二つか三つのモチーフの中から気にかかった形、イメージを2枚の絵にしてゆく。わたし自身、一つのテーマ性を持たせたモチーフ選びをしょているが、そこから2つの違った絵が出来上がる。わたしが1つに集約したものから、全く別の2つのイメージを作り出している。

魚を描く





暫く書き込みが出来ていなかったので、随分時間をさかのぼることになるけれど
ある日のレッスン。生の魚を描くことにした。本当は水槽でもよいから、水を泳ぐ魚を見て描いて欲しい。さらに言えば、海にもぐって、海の中で紙に描くことは出来ないけれど、水の中で目を開けて、魚にも筋肉のようなバネの動きがあることを、水中で息の出来てしまう不思議さを、感じながら頭の中にたっぷり記憶して、海からあがって体を拭くことさえ忘れて紙の上に表現して欲しいくらい。まあ、これは言いすぎね。言っているわたし自身、そんな風にしたことないんだから。ただ、やはり、生きている動きと、もう動いていない状態では、まったく違うものだから。生命力というものかしら。
普段、子供たちはスーパーで売ってある魚を見ることのほうが圧倒的に多いから、いや、大人もそうか。わたしもそう。




 大人の生徒さんの絵。まるで日本画のような。薄い綺麗な色彩で、とても繊細。
色ののせかたが本当によい。この生徒さん、水彩画の色合いがいつも本当に繊細で素晴らしい。わたしはもっとがっつりと描いてしまうので、こんな風な清々しいかんじにはならない。
さて、これから下の絵たちは子供達の絵。生の魚の置いてある教室に入るなり、くさいーーっと口々に言っていて、いえいえがまんがまん、生の魚は魚くさいのは当たり前なのよ。今日はこれを描くの。「えーーー!!」
まずは男の子。まるまるしていて勢いをかんじる。ほら、光っている部分もギラリ。お顔はかわいらしい。まだ若いお魚のよう。





次は女の子。同じお魚を同じ場所で描いていてもまったく違う表現になるから絵っておもしろい。もう彼女の描いた魚は、彼女の作り出した世界のものになっている。こんな魚がいる場所はその他のものもきっとすごく面白いはず。





 その日の午後、桜坂教室でも同じことをした。同じ魚を描く。桜坂の子供達の反応はくさいーーーはなかったものの、表情はやや嫌そう。鉛筆の先でつついたりしている。つついた鉛筆をさらに、くんくん。。ウゲ。って顔をしている。しかし子供達諸君、魚は好きでしょ。食べたりもするでしょ。といいつつ、見ていて反応が面白い。








これは女の子の絵。この魚もまるまるしている。性格が良くって友達の多いお魚だろう。絵には性格が現れるてなもので、この子の絵は本の挿絵になりそうな表現のようにいつも思う。いつも少し緩さがあって、よい感覚。




 最後は男の子の絵。なんてかわいい絵。この子はいつも思ったまま描く。かわいい絵、とかあまりそんな言い方は正しく無い気がするけれど、なんともかわいい絵。彼自身が独特の線を持っているから、いつも彼の描く絵は独特の雰囲気がある。かわいい。





今回は、子供達にとって綺麗でも楽しいでもないモチーフだったかもしれないけど、普段何とも感じていないものにも、それにはそれの、不思議な形を持っているのよ。
だって魚ってこんな形、水の中で生きいて、よく考えたら、人が出来ないことばかり出来ちゃってるかもしれないのよ。

2013年1月7日月曜日

賞をもらう

これは昨年2012年で、わたし自身にとっても大変光栄な出来事だった。
わたしの教室の生徒が二人、夏休みの課題画で賞を受賞した。
2012・8月22日のブログで、2人が一緒に教室で熱心に描いている姿を載せているが、その時の絵。お母様方に相談を受け、夏休みの課題画を白鼠のレッスン内で仕上げようとなった時、わたしと生徒、課題内容を見て随分何を描くか考えたことを覚えている。






 この子は、描写や色彩が美しい絵を、今までもたくさんたくさん描いてきていて、彼女自身の持った線がホックニーの描く線の様でまた独特であるから、色々考え、数枚描いた中から夏の野菜を描写することに決めた。野菜の並び具合がどこか意図的にデザインされていて構図も面白い。ホオズキの朱色と、その他の野菜の色が引き立て合って素敵な絵に仕上がった。トウモロコシの粒の一つ一つを塗り分けてあったり細かいところまでよく描けている。近くで見るとトウモロコシのヒゲの部分なんかも凄くよく描けているのだ。
教室ではまだタイトルはついておらず絵が仕上がり自宅に持って帰ってからお母さんと一緒に考えたらしいのだが、「お盆」というタイトル。またそれが凄くよい。11月に入りこの子のお母様からメールで、MOA美術館児童作品展で銅賞を受賞しました、と連絡を貰った時は本当に嬉しかった。もの凄く感動してしまい、自分も実家に電話し母に報告してしまった程。わたしは心から、この日、このお知らせに、「ありがとう!」と思った。






 上の写真は福岡アジア美術館に展示された時の様子。写真はお母様が送って下さった。他の子達の絵も楽しい絵が沢山!!今年は金賞をとるのだ、と彼女は嬉しそうに言っていた。うん、金をとろう。
おめでとう!





そしてそして、この子も学校の賞を受賞した。11月は彼は一ヶ月丸々お休みしていたので、12月に入り久しぶりにレッスンで会ったら、お母さんの手から立派な賞状が私に渡され、「賞をもらいました」。この子は本当に力一杯の絵を描く。見ているものが楽しくなる様な絵を描く。線や色ののせ方にも全くためらいが無く、感じたままを絵にしている様なかんじ。
だから絵自体も生き生きしたものになる。この子が描いた絵は、海の絵(2012・8・22のブログに見ることが出来ます)。クジラやカニ、たくさんの船、大きな波画面いっぱいに描いた絵だった。この賞状を見せてくれた時もわたしは感動し、彼にいろいろ興奮した状態で感想を聞いた。「皆の前でこうやって賞状を貰ったの?」「嬉しかった?」などなど。「ほら、持って先生に見せて」とお願いしたら、下ばかり向いて少し照れくさそうにしていた。おめでとう!   
            


            



そしておしまいに。今回は賞をのがしてしまったけど、愛宕教室のこの子も一生懸命描いていた。スイカの絵。この子は花が凄く好きで、花が花瓶に生けてある絵で家で描いたものをわたしにくれたり、それはそれは繊細な線で細かく細かく描いている花の絵を貰った。B5くらいの少し小さな紙に描かれていた花は、本当によく見て描いていて関心したものだ。勿論、気に入った写真やハガキ等しまっている箱に一緒に大事にしまっている。本当に花びらの一枚一枚にまで、実際にその子の目にした花を紙の上に描きたいという気持ちの伝わる絵だった。この子には是非白鼠絵画教室からの賞をあげたい。

受賞した子も今回はそうでなかった子も、賞は素晴らしいことだと心から思うのと同じくらい、賞ばかりがすべてと思うわけとももちろん違っていて、その集中して頑張ったこと自体に子供達皆を褒めてあげたい。
ただ一つ思うことは、今回の受賞を一つ特別なこととして言えるならば、それはきっと大人になった時思い出す子供の頃のこと、少し気持ちが透明になる様なこと、そんな出来事一つとして記憶されるのではないのかしらと思う。
そして今年はまたみんな良い絵が描けるはずよ!どうもありがとう!

2013年1月6日日曜日

ドラえもんが好き

年末になり慌ただしく毎日を過ごしていて、なかなかブログの書き込みが出来ず、新年になり暫し反省していたところで、写真の整理をしていると、何とも可愛い写真が出てきた。これは是非載せておきたい。昨年の秋口のレッスンの写真。





 この日はこの子一人でレッスンだった。絵の具を使ってドローイングをした時のこと。
最初、イヤホンや紙をぐしゃぐしゃにしたものなんかをコンビニのコピー機で出力したものを用意し(大学時代からわたしはコピー機を利用し作品にしたりしていた)、その上にトレーシングペーパーを置いてイヤホンのコードのグルグル巻いた線や、ぐしゃぐしゃの紙の不規則な線、それをなぞることでおかしな絵が出来る、それに後で絵の具のドローイングだ!と思いついたばかりに、「今日はこれよ。ほら色んな線があるでしょ?この線をなぞってみよう」とレッスンを始めたのだが、何だか彼はさせられている様なかんじに見えて仕様がない。そうかあ、これは少しわたしの頭寄りに考え過ぎているのかもしれない、と思い、それはそれで仕上げてもらって、急遽好きな絵描いてみましょうね、ということになった。さて彼は一体何を描くか。そしたら、丸を描き出してまたその中に丸。
これは何かしらね、と思っていたら、ドラえもん。そうそうこの子はドラえもんが大好きなのだ。いきなり、さっきまでわたしの用意したコピーの紙で描いていた線と違って、慣れた線が飛び出す。ヒゲが左にちょんちょんちょん。右にもちょんちょんちょん。
黒く丸、優しい目が描けた。そうして完成したドラえもんの周りに「色んな色、綺麗な色で囲んであげよう」と言って、紙の上で色が濁らない様な綺麗な色を使って、水をたっぷり筆にふくませて、隣の色とまたその隣の色が混じっていく様を楽しみながら仕上げた。




 良い絵が出来本人も満足げに見える。下の絵は残りの時間で描いた猫。ドラえもんも未来 の猫だからね。この猫の絵には少々脱帽した。凄く絵として先生は気に入った。トレーシングペーパーに鉛筆だけで描いた絵。こんな絵はわたしには描けないなと思った。写真にはよく写ってないが猫の顔のかんじがまた良く、この猫の性格まで想像出来てしまいそうな程「一匹の猫」がそこに描けていた。良い絵だった。







 大好きなドラえもん、綺麗な色に囲まれてニッコリ笑っている。そんな側で写真の中の彼もよく見るとニッコリ。好きなものを描くのはやはり一番ね。

2012年12月6日木曜日

A.N DRAWING.


「新人現る」の回でも紹介した、普段から自身絵を描いている彼女。レッスン初回にお互絵についてじーーーっくり話しをしたこともあり、彼女は普段から描く人なのもあってわたしは教えるということに頭を少し抱える。「はて、、、では白鼠では果たして何をしてゆくのか、、」。そこでその時に持ち上がったあるプロジェクトがありまして、
毎回、1つ、もしくは2つのペンによる点描画を仕上げていくことになった。
毎回、わたしが何らかのモチーフを予告無しに、一つのテーマ性を含めて用意させてもらって、その並んだモチーフから、何かしら彼女の感覚で察知した要素を、絵の中に表現している。「こう出たら、どうする」「そういきたら、こう行く」「あらそうきましたか」という様な掛け合いをお互いに楽しんでやっているといったかんじ。



この日は冷たいモノ、金属とか、冷たさを感じるモノの御題を掲げるため、自宅から鉄のフォークやら、真鍮のスプーンやら、直径1・5ミリ程の少し太めの針金を曲げた様な、一見「知恵の輪」の様なクリップ。ニンニク、石の写真の本、骨董市で見つけた薬をすり潰すためのガラス棒などを持って、「如何なものだろうか・・・」と用意した。
わたしは、毎回課題の内容を実はもの凄く悩む。勿論、彼女にだけでは無く、どの生徒に対しても。描く時間を楽しんで欲しいし、なるべく取っ付き易く、でも前回とは少し違っていたり、初めての画材、技法の、モチーフの新鮮さとか、割と実は悩んで悩んでいる。これはどこの絵画教室の先生も同じかもしれないけども。




 彼女のレッスンの時は背後で息を潜める様に、集中の時間を見守るようにしている。大体写真のこの距離感。何故かと言うと、彼女は今までに3回のレッスンをしているけれど、いつもモチーフをレッスンの最初にテーブル上に置いておくと、普段よくお話しをする子なのであるが、絵を描き始める時、その前に座り、静かにじっと、そのモチーフを手で障り、何か対話でもしているかの様に沈黙してそのモノを見ている。とても静かに。いつもその行為に随分の時間が費やされ、そして何か彼女の中でそのモノに対して、理解というか、触れた時、もの凄い集中力で紙の上に線を、点を、描き始める。


 私は自分で絵を描く時きっと全然違うアプローチをする。絵を描いている間はほとんどが主観でいるわけだから、自身の絵の描き方をこの様に観察は出来ないが対極的アプローチをしているんではないかな。それは誰がどんなのが正しい駄目とかではなく、わたしは少なくともこんなかんじではないから、その姿勢がまた彼女らしく、一人の絵を描く人として何か敬意に近い様な感覚で見守る。息を潜めて。




この日わたしは、また彼女が描く絵が好きになった。「分解と構築」。
絵を見る事はその人自身を見ることだ。

2012年12月3日月曜日

a self-portrait

この回は自画像を描いた。今日は自画像を描くのよ、と言って鏡と鉛筆と画用紙を渡したら、あらら、少し難色模様。でも今日の課題は自画像に決定していたから、彼女のお母さんにも事前にご連絡して「鏡を持参されて下さい」とお願いしていた。そして鏡をのぞきこんで目を描き始めた。わたしも何か描こう。すると生徒が「先生も自画像描いて下さいよ」ってきたもんだから、「自画像、そうねえ、先生は自画像描いた事あるからねえ」。ズルイーっってかんじの眼差しを感じつつも、わたしはわたしで、鉛筆でイラストを描き始めた。結果描いた絵は自画像では無かったから、何だかごめんね。
 最初そんなやりとりをして始まったが、またすぐに彼女は集中して描き始めた。そして横目で生徒の描き出した絵を見てふと思った。目を描いている。

自画像で一番先に描いてしまうのは目なのかもしれないと思った。多くの人が、顔を主に描く時はやはり目なのではないかな。「目は口程にものを言う」と昔の人は実によく言ったもんで、本当に目は口程にものを言ってしまう。わたしは身体の中でも特別な箇所の様に思う。ぼんやりして考え事がまとまらない時は、やはりぼんやりした目になり、何か発見や興奮に包まれた時は、キラキラし、いかにも水々しい輝いた目になる。わたしはよくよく友人に言われるのが何か面白いこと変な事を言おうとしている時、目が浮き足立っているらしく、ただそんなのってその時言われても自分では確認の仕様がないのよね。何か発見した時はよく目から手が出ているらしい。そのくらい他者の方が確認し易いその人のその時の本当の部分な気がするのだ。だから自画像っていうのはまた独特。自分を意識して見つめるのだから、「他人の垣間見るその人の本当」とまた全く違って、「本人の本人による本当」を描く行為。これは他人は絶対に垣間見れない「本当」だから面白い。


 描けた。特徴のある場所に3つのほくろがこの生徒にはあるのだけれど、それが一寸も狂いが無いくらいに描けているのが興味深い。途中でほくろと鼻とか、描いている鉛筆で鏡に凄い顔を近づけて角度や距離をい計っていたのは、横目で見ていて面白く微笑んでしまった。彼女らしい色合いの自画像が描けた。これまた良い絵だな。髪の毛の一本一本まで描いている。色といい、画面の中に置いた自身の大きさといい、位置といい、本当にこの子らしい良い絵だ。

そしてそして、「今日は自画像を描いたら、12月のレッスンのクリスマスリース用の素材を拾いに行くのよ」と話していたから、描き終わったら勢い良く「終わりました!」の声。さっそく近く(歩いて2分くらいのところにある)の桜の木が4、5本並んでいる、小さな公園、公園ではないな、、小さな小さなもの凄く小さな雑木林にバケツを持って向かった。

 最初生徒と腰をかがめて、地面を見たり辺りをキョロキョロするが、落葉というより枯葉ばかりで、「無いねえ」と言ってはゆっくり注意深く前に進む。そしたら彼女が「あった!」と言って何か拾っている。視線の先をよく見ると、小さなドングリが沢山落ちている。やはりこういった場合見つけるのは子供達の方が断然早い気がする。身長なんかの問題では無く、子供の世界の方が断然そんなものも近くにあるからだ。
次々と見つけ出して、よく見ていると、彼女は拾ったドングリを一回強く振っている。「その動き何?」と聞く。一回、ブンって振って中の実が動いたら、虫が中にいるらしい。
おお!凄い!、、、彼女のその一連の動きと、その、もの知りのかんじがあまりに格好良く、わたしも真似してやってみる。分からない。中の動いている振動がわたしには分からず、結局わたしはなんとなく彼女のしているのを真似だけしながら、拾ったドングリをバケツに入れた。


 目が慣れてくると帽子をかぶったドングリがいくつかあったり、まん丸のシイの実っていうのだったかしら、おっきなドングリも沢山見つけてウキウキしながら拾い集めた。
アトリエに戻ったら、「数を数える」と言ってテーブルにバラバラっとバケツから出し、1、2、3、、、、、30、、。その時は確か30何個かあった気がする。まだ増やしたいらしく「もう一度」と懇願されその後まだレッスンの終わりまで少し時間があったから、また採りに行った。最終的に拾った数は時間が無くなって数えてはないけど、全部で5.60個くらいにはなってたかもね。





最後にわたしのこの時描いたイラストも少し載せて頂こう。

2012年11月1日木曜日

drawing


この日はドローイングをしてみる。色は最初わたしが父から貰ったRembrandtの水彩絵の具を使おうとしていたが、最初に花のトレースをしている時に色味が渋過ぎる気がして、今日は「トレースの方も、ドローイングも12色・子供用絵の具にしましょう」。梅鉢に絵の具を並べていく。2色くらい並べていたが、彼女が、「先生、この中から目をつぶって選んで。」と言う。確かに、梅鉢って7色しか入れられないのよね。でも使うのは12色・子供用絵の具。目をつぶって、一つ引いた。黒。黒は好き、黒は最も好きな色だけれど「黒は今日はトランプで言うジョーカーよ」、「今日はババ抜きよ、今日は黒は除けておこう」。また目をつぶって、一つ引いた。今度は茶色。。あらま。。また「これもババ抜き、今日は茶色はババね」。そして次。白。白ねえ。。わたしはこんな日に限ってもこういう色を引いてしまうのかしら。。もの凄く好みな色達ではあるが、「今日はこの人もババ、さよならして、、」と言って、ついでに黄土色なんかもドサクサに紛れ省いちゃって、残るはカラフルな色しか無い。うん、これなら良かろう、と思って引いたら、赤。よし、次次、オレンジ。よし、次、暖色系以外がきて、お願いよ。黄緑色。まあ良いじゃない。次。青。こうなると今度は色の三原色みたいになって、少し気まずい。。「ではこの色どれか2つ混ぜて何かの色にしよう」。「青と赤混ぜたら紫になるね」満場一致のもと紫を作った。結局梅鉢のくぼみには6色が並んだ。
最近はコンテや、鉛筆デッサンばかりだったからこんな綺麗な色は久しぶりだ。彼女もわたしも少し意識が変わって気分がいい。あめ玉の様な色。今日はドローイング用に水を多めに入れているから紙の上に乗ってもまだみずみずしく光っていて美しい。
 
今日はいつもみたいに筆も使うけれど、枝も使うし、彼女の案でトイレットペーパーの芯も画材にした。生徒達の案はどんどん取り入れたい。最初、彼女が枝でわたしが芯を。二人で熱心にペタペタ、シャッシャとする。黙々と。良い線が出来てきている。これはなかなか良い絵になりそうよ。水気を含んだ絵の具同士が混じり合ってまたそこに作った色でない色が出来る。わたしは描きながら「あーーめーーー、あーーーめーーー」と言う。雨と飴色を掛けてみたりして、全く親父ギャグか。生徒自身の手もどんどん動く。色とは、時にそうさせるものだ。勝手に色が手を動かしてしまう。

 「今度やるバレエの衣装を教えてよ」彼女は11月にバレエの発表会に出演する。その時、水兵さんと、マトリョーショカの一番小さな人をするのだ。そうしたら、この絵の上に描きだした。上の写真の左下の四角いのが、そのそれです。マトリョーショカの方ね。彼女のその描いてくれた線がまた生きて、良い絵となる。時には人と1つのことをするのも楽しいからね、絵を描くことも然り。

 だいぶ辺りは秋も通り過ぎようとしていて、寒くなってきている。この写真では見えないけど、この日も白鼠のレッスンの後はバレエレッスンだから、白い厚手のタイツを身に付けてる。それでも教室の床は冷たい。ブランケットを貸してあげた。その上に普通に座るだろうと思いきや、上手に中心に入ってクルックルッとさも当たり前の様に、巻き付けた。ブランケットに包まった。なんて可愛いのだ。「白鼠の生徒たちは先生の太陽だ」。そういった1つ1つの思いつきが大事よね。子供達と一緒に過ごしていると「当たり前って何なのだろうね」と思う。ずっとずっとそういう風であってね。

 この日は彼女の好きなココアを飲みながらレッスンしていた。筆を洗った水がココアの色になっていた。筆洗機も発見の場。紙の上だけで無く、どこにだって発見の場はある。そういえば、写真には写っていないが、指先に絵の具をつけて水面を一瞬触ると水の表面から絵の具が信じられないくらい綺麗な線の模様となって筆洗機の底へゆらゆら落ちていった、そんな事もした。彼女が「先生、見て」と言って、その事を教えてくれた。彼女は何回も繰り返し水に一瞬指先を触れその線の模様を作った。しばらくその様子を二人で眺めた。

 今頃、アトリエでこの絵は絵の具が乾いているだろうからまた次会った時は違う表情の絵になっている筈だ。この水々しい色はその場に携わった者のみぞ知り得る。その瞬間は乾いた絵には残せないけど、それはそれでまた良い絵になっているでしょう。

愛宕の教室でも、前回の白鼠の男の子もしたのと同じ様にトレースする。花の写真をトレースして、指と筆で色をつけた。同じトレースしたもの、方法は一緒でも皆違うかんじになる。トレースしている時は、話しかけては駄目かなと思うくらい集中していた。
やはりその真剣な表情は「白鼠の生徒たちは先生の太陽だ」!